千葉師範学校女子部( 現・教育学部)は、太平洋戦争末期、「学校工場」が校内に設けられ、戦時体制に組み込まれました。そうしたなか1945年6月10日、蘇我にあった日立航空機千葉工場とともに空襲に遭い、生徒8名と教職員2名が亡くなりました。1968年、犠牲者の追悼と女子部の存在を記憶するための碑が、当時校舎があったJR千葉駅の駅前大通りに建てられています。(大学院国際学術研究院 見城悌治)
1915年に始まった全国中等学校優勝野球大会に、千葉県勢として初出場したのは、千葉県師範学校(千葉大学教育学部の前身)でした。1926年の南関東予選で、7点先行した水戸中学から8点取り、サヨナラ勝ちしたのですが、22校による本大会は、初戦で新潟商業に4-9と敗れました。同校の出場は、その1度だけでした。一方、戦前期の千葉県では、千葉中学校( 現在の県立千葉高等学校)が最多の4回を数えます。(大学院国際学術研究院 見城悌治)
コロンビアの著名な風景画家ゴンサロ・アリサ氏(Gonzalo Ariza:1912~95年)は、1936年頃に工学部の前身である東京高等工芸学校に留学生として半年ほど在籍し、そこで写真や印刷を学びました。茶道や陶芸にも深い関心を寄せたほか、日本の自然観を踏まえた絵画技術を修め、懇意となった藤田嗣治とも交流を深めたそうです。1955年には駐日コロンビア大使館の文化担当一等書記として再来日し、東京で個展を開くなど、日本との文化交流にも貢献しています。(大学院国際学術研究院 見城悌治)
1915年に千葉県立高等園芸学校(園芸学部の前身)を卒業した土岐章(1892~1979)は沼田藩(群馬県)藩主土岐頼知の子息で、1918年には子爵となります。ドイツ留学の経験があった土岐は、1924年に渋谷にドイツ風の洋館を建てました。その後、1990年に所縁の地・沼田市に移築され、登録有形文化財として公開されています。沼田市内には千葉大学の森林環境園芸農場もあり、不思議な縁を感じるところです。(大学院国際学術研究院 見城悌治)
稲毛区小仲台に1965年に建設され、2016年3月に閉寮された稲毛寮が、この夏に解体されます。1部屋に2名が住み、定員は208名でしたので、50年で10,000名近い学生が青春の日々を過ごしたことになります。壁には落書きやシールなど当時の生活のあとが色濃く刻まれています。1990年代までは寮祭が行われ、手作り神輿や仮装行列が駅周辺まで練り出し、町の名物行事だったそうです。(大学院国際学術研究院 見城悌治)