附属図書館亥鼻分館前の記念碑は、かつてこの地にあった医学部附属看護学校、助産婦学校、診療放射線技師学校が閉校する際、各同窓会がその記憶を留めるため、2002年に建てたものです。そこには1901年開校の県立千葉病院看護法講習所、また県立千葉病院産婆学講習、医学部附属診療エックス線技師学校以来の卒業生総数が5,539名にのぼることが刻まれています。(大学院国際学術研究院 見城 悌治)
2021年10月に閉館した医学部本館は1937年に竣工した附属病院でした。当時の小児科教授・詫摩武人(乳児栄養学の第一人者)は、新しくなった小児科の病室壁面に様々なタイル画を作成しました。現在も、うさぎ、象、孔雀などの動物、鉄道や帆掛け船などの交通機関のほか兵隊の行進などがきれいに残っています。入院中の子どもたちに安らぎを与え、心にも栄養を与える配慮であったと思われます。(大学院国際学術研究院 見城悌治)
コロナの流行により疫除けのアマビエに脚光が当たっています。一方、平安時代に京都で流行した疫病封じのため、祇園社に祀られたのが牛頭天王でした。実は医学部と薬学部周辺にある大樹と祠7つからなる「七天王塚」はこれを祀ったもので、石碑の一つには「安永二年(1773)」の文字も見えます。医学部の前身校が1890年に亥鼻の地に移ってくる何百年も前から庶民の信仰を集めていたのです。(大学院国際学術研究院 見城悌治)
1918年から流行した「スペイン風邪」は、当時人口147万人の千葉県内に30万もの罹患者を出したと言われています。県立千葉病院(現医学部附属病院)も対応に追われる日々でしたが、県内の看護婦不足が問題となったため、看護婦の育成や実習も併せて担当することになりました。今回のコロナ禍もそうですが、歴史的な流行病に対する、病院関係者の真摯な対応や献身に対しては感謝の言葉しかありません。(学院国際学術研究院 見城悌治)