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第一高等学校医学部を千葉に誘致した功労者像

県立千葉医学校の長尾精一校長は、1887年、第一高等中学校医学部の誘致を名古屋市と争った結果、千葉の地に官立医学校をもたらしました(1894年、第一高等学校医学部と改称)。その功労を顕彰するため1911年に作られた胸像は、太平洋戦争時に金属供出され、その後、長年台座のみが残る状態でした。しかし、2024年秋、医学部同窓会のご尽力で、高名な彫刻家・高村光雲作の胸像が再建されました。(大学院国際学術研究院 見城悌治)

亥鼻キャンパスにある長尾氏胸像

医療系三学校の記念碑

附属図書館亥鼻分館前の記念碑は、かつてこの地にあった医学部附属看護学校、助産婦学校、診療放射線技師学校が閉校する際、各同窓会がその記憶を留めるため、2002年に建てたものです。そこには1901年開校の県立千葉病院看護法講習所、また県立千葉病院産婆学講習、医学部附属診療エックス線技師学校以来の卒業生総数が5,539名にのぼることが刻まれています。(大学院国際学術研究院 見城 悌治)

附属図書館亥鼻分館前にある記念碑

旧小児科病室のタイル画

2021年10月に閉館した医学部本館は1937年に竣工した附属病院でした。当時の小児科教授・詫摩武人(乳児栄養学の第一人者)は、新しくなった小児科の病室壁面に様々なタイル画を作成しました。現在も、うさぎ、象、孔雀などの動物、鉄道や帆掛け船などの交通機関のほか兵隊の行進などがきれいに残っています。入院中の子どもたちに安らぎを与え、心にも栄養を与える配慮であったと思われます。(大学院国際学術研究院 見城悌治)

医学部本館4階の旧小児科病室の壁面を彩る様々なタイル画

亥鼻キャンパスに祀られている 「牛頭天王」

コロナの流行により疫除けのアマビエに脚光が当たっています。一方、平安時代に京都で流行した疫病封じのため、祇園社に祀られたのが牛頭天王でした。実は医学部と薬学部周辺にある大樹と祠7つからなる「七天王塚」はこれを祀ったもので、石碑の一つには「安永二年(1773)」の文字も見えます。医学部の前身校が1890年に亥鼻の地に移ってくる何百年も前から庶民の信仰を集めていたのです。(大学院国際学術研究院 見城悌治)

七天王塚の配置

歴史的流行病に対する附属病院の貢献

1918年から流行した「スペイン風邪」は、当時人口147万人の千葉県内に30万もの罹患者を出したと言われています。県立千葉病院(現医学部附属病院)も対応に追われる日々でしたが、県内の看護婦不足が問題となったため、看護婦の育成や実習も併せて担当することになりました。今回のコロナ禍もそうですが、歴史的な流行病に対する、病院関係者の真摯な対応や献身に対しては感謝の言葉しかありません。(学院国際学術研究院 見城悌治)

1920年頃の県立千葉病院

医学部の旧正門前にあるオブジェ

医学部創立85周年(1960年)記念に建てられた記念像で、右側面に長尾精一先生像、左側面に荻生録造先生像のレリーフがはめ込まれています。 長尾は1880年に公立千葉病院長として赴任以来、官立第一高等学校医学部、官立千葉医学専門学校と組織が変遷しても校長を歴任。 荻生は1902年に長尾の後を継ぎ、同校を発展させ続けた功績を称える文章がこのオブジェに刻まれています。 (大学院国際学術研究院 見城悌治)

医学部の起源となった千葉町共立病院

1874年、千葉県令の呼びかけに応じた千葉町の有志と三井組が資金を出し、共立病院ができました(院内公園付近)。 76年には移転し、医学教場を併設した公立千葉病院になりました(「きぼーる」付近)。 医学部創立85周年として1960年にそれぞれ記念碑が建てられました。 千葉町民からの寄金で作られた共立病院を、医学部がその起源としていることは、意義深いものがあります。 (大学院国際学術研究院 見城悌治)

千葉市内にある記念碑

医学部のロゴマークのモチーフ

医学部は1874年設立の千葉町共立病院をルーツとし、140年以上の歴史を持ちます。 明治大正期に活躍した三輪徳寛教授(外科)は「獅子のように細心で大胆な肝力、鷹のような全体を見通し判断する眼力、女性の手のように柔らかい手技」を意味する「獅胆鷹目 行以女手(したんようもくおこなうにじょしゅをもってす)」の格言を、医学生に伝え続けてきました。 その伝統を引き継ごうとする意図から、2011年に新たなマークが作られました。 (大学院国際学術研究院 見城悌治)

看護学部のロゴマークのモチーフ

ランプの灯をモチーフにしたものです。1975年、千葉大学に日本の国立大学で初めての看護学部が設置され、そのときに写真のような記念メダルが作成されました。 その表側には、「太陽が沈んだ後も、灯を頼りに続けられる」という看護の仕事を象徴するランプの灯が刻まれていました。 ロゴマークはこのメダルのデザインをアレンジして誕生したものです。 (大学院国際学術研究院 見城悌治)

看護学部のロゴマーク

薬学部の「薬草園」

亥鼻キャンパスにあります。薬学部が亥鼻から西千葉に移転した1967年、西千葉キャンパスに薬用植物園が設置されました。 また、1968年には館山市に館山圃場も設置されました。その後、2011年に薬学部が西千葉から亥鼻キャンパスへ戻った際、薬用植物園も一緒に移りました。 現在も薬用資源教育研究センター附属薬用植物園として、生薬学など薬学領域の実践的な教育や研究の場として活用され続けています。 (大学院国際学術研究院 見城悌治)

文学部の考古学研究室が、亥鼻キャンパスで発掘したもの

文学部考古学研究室は、2002年から2011年まで、3期にわたり、亥鼻キャンパスの発掘調査を行い、弥生時代から古墳時代に至る15戸以上の集落跡や埴輪片を伴う前方後円墳、さらに中近世の陶磁器片を発見する成果を挙げました。 キャンパスの西方にそびえる千葉城(千葉市郷土博物館)は、1967年に史実と関係なく建造されたものですが、亥鼻台は鎌倉時代の千葉氏の拠点だけではなく、長きにわたる先人の営みがあったことを発掘は明らかにしたのです。 (大学院国際学術研究院 見城悌治)

発掘された古墳の石室

附属図書館にある江戸時代の「お宝本」

附属図書館亥鼻分館には、戦前戦後を通じて集められたきわめて貴重な「古医書コレクション」5500点が収められています。その中の一冊に、1774年に発刊された『解体新書』があります。同書は、杉田玄白たちがオランダ語の原典を苦心の末、翻訳した西洋医学紹介のための記念碑的作品で、高校の歴史教科書にも載せられています。この古医書群は、図書館のウェブサイトから写真版として閲覧することができます。 (大学院国際学術研究院 見城悌治)

杉田玄白等による「解体新書」(1774年発刊)
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