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千葉県立園芸専門学校 一期生の卒論テーマ

園芸学部の前身である千葉県立園芸専門学校は、1912年に最初の卒業生21名を送り出します。一期生の卒論テーマは果樹10名、造園4名、花卉2名、蔬菜、育種、貯蔵、果実酒、園芸業各1名でした。造園が人気だったのは、鏡保之助校長(初代)が自ら考案した「庭園論」を帝国大学などに先んじて講じたためと言われます。一方、ドラマで脚光を浴びた植物学者・牧野富太郎が1911年から約3年間「植物分類学」講師をしていたことにも注目されます。(大学院国際学術研究院 見城悌治)

初代校長 鏡 保之助氏

松戸キャンパスにある「移管記念」と刻まれた自然石は?

園芸学部の前身である千葉県立園芸専門学校(1909年創設)は、経済面などを理由に、県議会によって「廃校」の決議をされました。しかし、OBたちが国に何度も陳情した結果、29年に国立移管が認められ、存続が決まりました。イタリア庭園内に残るこの記念碑には「本校で学ぶ者は、昔日の苦難と奮闘の歴史に鑑み、精励力行し、母校の発展に尽すことを願う」というOBたちの熱い想いが刻まれています。(国際学術研究院 見城悌治)

国立移管記念碑

海外の使節団をもてなした園芸学部の前身校の庭園

1936年、ブラジル経済使節団一行が、園芸学部の前身校である千葉高等園芸学校を訪問しました。 当時の新聞によれば「東洋一を誇る大温室をはじめ果樹蔬菜園を視察、教育施設の完備に賛嘆の声を放ち、新庭園の秋色を賞した」(『朝日新聞』同年9月24日夕刊2面)。 さらに、1938年には「ペルー経済文化使節団」も来訪しています(『朝日新聞』同年11月2日夕刊1面)。東京近郊で、美しい庭園を備えていた同校は、海外の賓客をもてなす場となっていたようです。 (大学院国際学術研究院 見城悌治)

当時の温室

留学生がもたらした小玉スイカ

園芸学部の前身「千葉高等園芸学校」初の留学生は、1916年に入学した繆嘉祥(びゅうかしょう)でした。 彼が中国から持って来たスイカの試作に、橋本章司教授が成功し、後の小玉スイカの育種として大きな役割を果たしました。 橋本教授が「嘉宝」と命名したこのスイカは、現在でも手軽に入手でき、人気があります。 その由来こそ忘れられていますが、「嘉宝」の名付けが師弟関係の深さを今に伝えています。 (大学院国際学術研究院 見城悌治)

1932年3月卒業写真。現在のフランス庭園前にて(「千葉高等園芸学校校友会会報」21号)

松戸キャンパスに隣接する徳川家ゆかりの文化遺構

松戸キャンパス北隣の「戸定邸」は、水戸徳川家当主で徳川慶喜の弟、徳川昭武が1883年に建設した別邸と庭園で、それぞれ国の重要文化財と国指定名勝に指定されています。 特に庭園は、昭武が1867年のパリ万博で見 た美しい庭園を模したとも言われ、広い芝生の向こうに富士山が見える雄大な風景は、四季折々に心を和ませてくれます。 その南側には、園芸学部のフランス式庭園(1912年完成)があり、不思議な縁も感じさせるところです。 (大学院国際学術研究院 見城悌治)

大正時代の園芸学部を訪ねた有名な歌人

与謝野晶子です。1924年6月、歌人の与謝野晶子が夫の鉄幹とともに、園芸学校の庭園を訪問。60首の歌を残しています。そのころ、「松戸の園芸学校の牡丹は東京付近で第一」と称えられるほど、園芸学部の前身である千葉県立高等園芸学校の花の美しさは有名でした。「うすものの女の友を待ちえたる松戸の丘のひなげしの花」など2首を刻んだ歌碑が、現在学内に建てられています。 (大学院国際学術研究院 見城悌治)

園芸学部のある松戸キャンパスは、もともと何だったか?

県立千葉中学校松戸分校が1901年、松戸町に創立されました。 しかし5年後に廃止となり、校地は私立松戸中学校に貸与されたものの、同校もすぐに閉校となります。 跡地を有効活用するため、1909年に誕生したのが、千葉県立園芸専門学校(現園芸学部)でした。そのため、当初は元松戸中学校生を編入するための予科が設置されていました。 「戸定が丘」の校地は、意外な経緯で現在に至っているのです。 (大学院国際学術研究院 見城悌治)

『千葉県東葛飾郡誌』(1923年)からの抜粋

園芸学部にある胸像

1912年から1931年までの長きに渡り、校長を務めた赤星朝暉の胸像です。 千葉県立園芸学校時代は「経費がかかるのに、千葉県内の学生が少ない」等の理由で県議会から批判され、廃校の危機に面したのですが、赤星たちの尽力で、国立に移管することができました。 その功績を讃えるため、同窓会(戸定会)が彫刻家・高村光太郎(詩人としても有名)に製作を依頼。鋳造は東京美術学校教授だった弟の高村豊周が担当し、1936年に完成したのが、この胸像です。(大学院国際学術研究院 見城悌治)

赤星先生像

園芸学部にかつてあったアメリカ式の庭園

園芸学部の四季を今も彩るサンクガーデン(フランス式庭園)、前庭(イタリア式)、新庭園(イギリス式)は、1910~14年に教員と学生が協力して造りあげたものです。 さらに、刈込式のアメリカ式庭園や枯山水の日本庭園、また牡丹園もあり、そこを訪れた与謝野晶子が詠んだ歌も残っています。 後三者は、戦後の校地整備で消滅しましたが、その他の庭園群は、2009年、日比谷公園などとともに、近代造園遺産に選定されています。 (大学院国際学術研究院 見城悌治)

園芸学部のフランス式庭園(完成当時)
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