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千葉大学 OBOG インタビュー

KT細胞の発見から35年。
長年の免疫細胞研究をもとに先端医療でがん治療に挑む。

国立研究開発法人理化学研究所 生命医科学研究センター客員主管研究員 / 千葉大学名誉教授

谷口 克さん

※記事に記載された所属、職名、学年、企業情報などは取材時のものです

屋外にて笑顔を見せる谷口 克さん

谷口 克(たにぐち・まさる)

国立研究開発法人理化学研究所 生命医科学研究センター客員主管研究員 / 千葉大学名誉教授

千葉大学医学部卒業。千葉大学大学院医学研究科で博士号を取得後、千葉大学大学院医学研究科免疫学教室助手を経て1980年に教授に就任、1996年から4年間は医学部長を務める。退任後、2001年から2013年まで理化学研究所の免疫・アレルギー科学総合研究センターの初代センター長を務め、2018年より現職。NKT細胞の発見者として知られる。

千葉大学教授時代にがん治療のカギを握るといわれるNKT細胞を発見し、免疫の常識を覆す新しいがん治療の研究で大きな成果を上げている谷口克さん。
これまでの研究実績や現在の取り組み、若手研究者育成への提言などについて語っていただきました。

NKT 細胞の発見を皮切りに免疫研究で成果を上げる

先生が発見されたNKT細胞とはどのようなものですか。

谷口

私がNKT(ナチュラルキラーT)細胞を発見したのは、千葉大学医学部教授に就任して間もなくの1986年です。人間の体には、外部から侵入した異物を攻撃する免疫というシステムが備わっています。NKT細胞は免疫システムで重要な役割を果たしているリンパ球の1つで、それまで知られていたT細胞、B細胞、NK細胞に続く第4のリンパ球とも呼ばれています。通常の免疫細胞は、様々な情報や刺激を受け取る異なる受容体が発現する細胞集団ですが、NKT細胞の受容体は他とは違って最初から1つに決まっています。これは単なる偶然ではなく、種の存続のために絶対に必要だから、進化の過程で必ずその受容体が発現するように備わっていることを示しています。実際、NKT細胞が欠損したマウスは感染症ですぐに死んでしまいますし、人間もNKT細胞が欠損すると軽微な感染で死亡することがわかっています。その後の研究の結果、NKT細胞は、がん細胞を攻撃するだけでなく、他の免疫細胞を活性化することや長期免疫記憶の成立に関わっていることが判明しました。

NKT細胞の発見でどのような成果がもたらされましたか。

谷口

研究を進めることで、体内のNKT細胞を人工的に活性化する物質を突き止めることに成功しました。これはがん治療にとって大きな前進になります。本来、免疫細胞は外部から入ってきた異物を攻撃しますが、がん細胞は自分の細胞から発生しているので、NKT細胞の免疫機能が働きませんでした。ところが、人工的に活性化できるようになり、その結果免疫記憶も長期にわたって持続できるため、がんの予防や治療、再発、転移防止に効果が出せるようになりました。現在は研究の場を理化学 研究所に移していますが、引き続きNKT細胞の研究を進めています。

2021年にNHK WORLD-JAPANの番組『Medical Frontiers』で、NKT細胞が取りあげられた。

NKT細胞の解説を行う谷口さん
PS-NKT細胞を用いたがん治療の治験に取り組む千葉大学大学院医 学研究院の本橋新一郎教授

これまでの概念とは違う新しいがん治療を切り拓く

現在の取り組みについて教えてください。

谷口

大きく2つあります。1つはこれまでの研究知見をもとにしたがん記憶誘導治療で、市中のクリニックと協力して集めたがん患者のデータを理研でフォローアップ解析し、さらに私が代表を務めるiNKT普及財団で統計分析を行っています。これにより、がんの種類やステージの違いでどのような治療をすればいいか、知見を共有することが可能になっています。2018年には、千葉大学は、厚生労働省から「先進医療B」の認定を受けて治療研究を進めており、今後は治療薬の開発を目指します。もう一つがiPS-NKT細胞を用いたがん治療です。NKT細胞は、実は体内にごくわずかしかありません。そこで、京都大学の山中伸弥教授が開発したiPS細胞の技術を活用して、人工的に増殖するiPS-NKT細胞の作成に成功しました。これは、免疫細胞としては世界で初めての取り組みで、現在は千葉大学でiPS-NKT細胞の投与によるがん治療の治験が進められています。

人材育成にも取り組んでおられると聞きました。

谷口

近年、日本の研究力が落ちているというのが大きな課題になっていますが、この一因になっているのが若手育成のシステムが確立していないことです。そこで、理研および私が関係する財団で、一流のアドバイザーであるメンターが若手研究者の育成を担当するというプログラムを実施したところ、短期間に複数の教授を輩出するという成果が上がっています。これは研究機関だけでなく大学でも有効だと思うので、ぜひ千葉大学でも実施できればいいですね。

日本初の免疫学教室の設立や研究・教育改革に携わった千葉大学時代

千葉大学での思い出を教えてください。

谷口

千葉大学には、学部から大学院、助手を経て教授、医学部長と、長い期間お世話になりました。特に思い出に残っているのは、大学院生のときに日本初の免疫学教室の設立に立ち会えたことと、医学部長として研究・教育改革に取り組んだことです。免疫学教室の誕生は1972年で、初代教授は私の恩師で日本免疫学の大家である多田富雄先生です。私は新潟県長岡市の出身なので、同郷のつてをたどって当時の田中角栄首相のもとへ、多田先生と一緒に免疫学教室設置の陳情に行った思い出があります。教育改革については、医学と薬学が一つになった学府・大学院の設置や、医学部入試への面接制導入に尽力しました。また、千葉大学だけでなく、全国医学部長会議の議長として、医学部卒業前に大学院進学を可能とするMD -PhDコースの設立を全国の医学部に提案しました。同じ医学部でも、臨床ではなく研究に進みたい人にとっては有効な改革になったと自負しています。

最後に、学生に向けてメッセージをお願いします。

谷口

常に新しいことに挑戦する気概を持ってほしいと思います。そのためには、好奇心を持ち、知ろうとすること、そして継続することが重要です。私自身、父親が循環器内科医だったので臨床に進むつもりでしたが、当時はまだまだ未知の世界だった免疫と出会い、新しい発見を手にしたいという挑戦の気持ちで基礎研究に進みました。皆さんも果敢に挑戦する気持ちを忘れずに人生を歩んでいってください。

※記事に記載された所属、職名、学年、企業情報などは取材時のものです

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